卵巣がん(明細胞がん)-50代 女性

卵巣がんの中でも治療抵抗性が高く、薬物療法の奏効率が低い明細胞がん(ステージ4)の治療を乗り越えられた岡本様が貴重な体験談をお話ししてくださいました。

効きにくいといわれる抗がん剤が効くようにと、副作用を軽くすることだけを考えて
祈りながら低分子化フコイダンCGの飲用を始めました。


「癌になるはずがない」という強い自信と「手術が怖い」という理由で病院に行くまで時間がかかってしまいました。

岡本様

2022年の2月より咳がコンコン出始めました。
アレルギーだと思って薬局で薬を購入し服用しましたが、3月になっても治まらず、咳の質が肺炎みたいになってきました。
熱もなく、コロナの検査も陰性だったので「これはマイコプラズマ肺炎か間質性肺炎かな?」と自分で病名を付けていました。
もしマイコプラズマ肺炎なら病院に行かないと自分ではどうにもならないと思っていましたが、7年ほど前から虚血性心不全と不整脈で総合病院の循環器内科にかかっており、次の診察の予約が4月だったので、それまで待つつもりでいました。

しかし、3月の終わりに急に息切れがして歩けなくなってしまって。
歩いて数分の近所のカフェに行くのに8回ほどの休憩が必要になり、これはおかしいなと思っていました。
そこで病院に行けば良かったのですが、あとちょっとと思って頑張っていました。
すると今度は食欲が無くなってきてしまい、お弁当を買ってきた時に普通だったらペロッと食べてしまうのに、食べられなくなってしまって…。
1つのお弁当を2日かけて食べるようになり、これはさすがにまずいと思いましたが、癌だとは夢にも思っていませんでした。

4月に入り、胸が苦しいのもあって4月11日の診察日まで待てないと思い、4月4日に病院へ行きました。
予約外だったため担当医も学会があり時間がなく、その日はCTを撮ってもらいました。
CT検査の結果、肺に水が溜まっていて、この咳は多分肺に水が溜まっているから出ていると言われました。

ただ、肺に水が溜まっているのは心不全のものではなく、もっと深刻な病気な気がするとも言われました。
「先生、重病って何ですか?」と聞いても、先生は「分かりません。」と答え、その日は咳止めだけを処方してもらって帰宅しました。
元々予約していた4月11日にあらためて診察してもらった時、造影CT検査をしてくださいました。

その結果、「おなかに何か出来物ができていて、足の血栓も肺に飛んでいるようだ。」と言われ、足の血栓も取らないといけないし、溜まっている胸水も抜く必要があるため、どちらにしても入院が必要になりました。

前川

抜かないといけないほど胸水が溜まっていたということは、とてもしんどかったですね。

岡本様

相当溜まっていたそうです。
先生におなかに出来物があると言われていたので、「良性ですか?悪性ですか?」と尋ねても、「出来物です。」としか言わず、その時は決して癌とは言われませんでした。
先生が大腸の内視鏡検査をするか、胃カメラをするかと言っていて、そんな恐ろしい検査を1日で2回も受けるのはと思い、先生に「20代の頃から子宮内膜症、チョコレート膿疱っていわれてきたので、もしかしたら婦人科かもしれません。大腸の内視鏡でも胃カメラでもなく、婦人科の方を診てもらえませんか?」と私からお願いしました。

先生も「婦人科の可能性もあるね。」と仰って、「だったら私がたまにお茶したりする婦人科のとても良い女性の先生がいて、婦人科の病気だとすると女性の先生の方が話しやすいでしょ。」と言って最初は女性の先生を紹介してくださいました。

ご自身の体験を語ってくださる岡本様
当時の心境や状況を細かくお話しして下さいました。

胸水から癌細胞が見つかり、卵巣がんステージ4が発覚

岡本様

婦人科の先生に色々と検査をしてもらい、まずは腫瘍マーカーの説明がありました。
「岡本さん、これCA125というマーカーで基準値が35以下なのに、570もあります。」と言われました。
「ということは、癌ですか?」と聞くと、「そう。卵巣がんで間違いないです。」とあっさりと言われてしまいました。

「えっ?私、本当に癌なの?何で私が癌になるの?」と頭が真っ白になりました。
心の準備もないまま胸水を抜くことになりました。

抜かれている胸水を見ると変な色をしていたので、これは癌がありそうだな…と思い先生に「胸水に癌はありそうですか?無さそうですか?」と聞いてみました。
すると「うーん。岡本さんには申し訳ないけれど、私の勘だけどあると思う。」と。
続けて先生は「私は胸水にがん細胞があるように祈っている。」と言われました。
「先生、癌は無い方がいいので、祈らないでください。」と言ったら、「違うんですよ。私が抜いた胸水にたまたま癌がなくて、そのまま癌がないってことになったらステージ1になるから、ステージ1としての治療をすることになるんです。でも、もし本当は癌があった場合はステージ4だから、取り返しのつかないことになる。再発したり、後々苦しい思いをしてしまう。それだったら最初からステージ4だと分かって、ステージ4に準ずる治療をした方が岡本さんは長生きできるわ。だから、私たちのチームは胸水を抜く時は“どうか癌が見つかりますように”って祈って抜くんです。」とお話ししてくださいました。

そして、これまでの検査をしてくれた女性の先生に「私が一番尊敬する、とっておきの先生を特別に紹介してあげる。絶対にこの先生に手術をお任せしたら大丈夫!」と言われました。
お医者様って絶対という言葉はなかなか使わないのに、そのお医者様が絶対と仰るということはスーパードクターなんだと思いました。
スーパードクターが手術をしてくれると思い、安心してお任せしようと思いました。

手術後の抗がん剤を受けるか、とても悩みました。

岡本様

抗がん剤が怖く、抗がん剤治療をしないという選択をしようとしていました。
最初に病院から抗がん剤の用途っていう本を渡されて、その本には「抗がん剤の用途を理解して治療を受けましょう。」と書かれていました。
見ましたら、(1)延命のための抗がん剤、(2)完治するための抗がん剤、(3)症状を緩和するための抗がん剤とか、色々と書かれていました。
私はステージ4なので、延命のための抗がん剤だろうなと思っていました。
でも主治医に聞いて「延命のためですよ。」という言葉が返ってきたら立ってもいられなくなると思い、主治医に聞く勇気はありませんでした。

たまたま、私の前を通りかかった先生に「私、岡本と申します。お世話になっています。私の抗がん剤の目的というのは何でしょうか?」と聞きましたら、その先生から「岡本さんはステージ4だったよね?延命です。」と。
「あー、やっぱり。ステージ4だったら延命になりますよね。」と言ったら、「そうですね。」と仰っていかれました。
私もガッカリしちゃって。
抗がん剤を受けたとしても半年やそこら生きるために辛い抗がん剤をやるんだったら、やめた方がよいかなと思って、主治医に「先生、抗がん剤は少し考えさせてください。」と伝えました。
すると主治医は「え?!やらないの?岡本さんの体だったら私が完全に切除して、抗がん剤をしたら元気になれるよ。」と仰ってくれたんですが、「いや…いいです。」と言い、2~3日考えさせていただくことになりました。
先生はその間も「抗がん剤をできない人も世の中にはたくさんいるのに、もったいないもったいない。」と言っていました。
「やれるのにやらないのは絶対にもったいない。」と頭をかしげながら病室を出て行かれました。
その翌日も先生がみえて、「抗がん剤もったいないよ!」と仰るんです。
あまりにも先生がもったいないと言われるので、本当にもったいないのかな…延命でもなんでもいいから、とりあえず仕方がない。
やってみようと決意しました。

抗がん剤を受けるからには効かなければ意味がないから、効くためには何か必要かと思いインターネットで情報を集めました。
そこでフコイダンに辿り着き、「これ、なんとなく良いかも。」と思いました。
そして後日、主治医にも「抗がん剤をお願いします。」とお伝えし、主治医も「良かった良かった。」と言ってくださいました。

がんは完全に切除しました

岡本様

開腹手術でいざ開けてみたら、検査段階ではないと言われていた腹水も少し確認されました。
手術の時に腹水を取って検査にまわしたら、そこからも癌が出てきたそうです。
リンパ節は全然腫れがなく、見た感じはすごくきれいなリンパ節だったみたいですが、胸水に癌があるということはリンパを介しているに違いないので、このリンパ節のどこかに必ず癌があるってことで、先生は62個ものリンパ節を切除されました。
検査の結果、62個中2個のリンパ節からがん細胞が見つかったそうです。

手術後、先生から「がんは完全に切除しました。」と言っていただきました。
ただ、結局胸水は抜いただけなので、術後もどんどん溜まっていって、手術した後も「今日は1ℓ抜こう。今日は500ml抜こう。」と毎日抜いていました。
ステージ4ということもあり、先生は一刻も早く抗がん剤をやらないと大変だと仰っていました。
ちょうどゴールデンウィーク期間中だったのですが、先生は休みを返上して病院に来られて、検査センターの方に細胞診の結果を早く出してもらえるように頑張って頼んでくれていたようです。
ゴールデンウィーク明けに結果が出ました。

細胞診の結果、組織型は明細胞がん。自信満々だった先生の顔が一気に曇りました。

岡本様

卵巣がんの多くが漿液性腺がんという組織型で、手術前のMRI検査の結果にも漿液性腺がんと書いてあったので、先生も漿液性腺がんだろうと思って「この人は治る!私が治そう!」と自信満々でした。
しかし、診察室に入って細胞診の結果を見た時に先生の表情が曇りました。
結果は卵巣がんの中でも抗がん剤の効果がでにくいといわれる明細胞がんという種類でした。
「この人はもうだめだ…。救ってあげられない。」という気持ちが私自身にも伝わってきました。
先生がダメだと思った理由が明細胞がんという組織型だけでなく、手術中に術中破綻しているということもありました。
術中破綻は先生の腕とか関係なく、珍しいことではないのですが、明細胞がんで破綻した人っていうのはさらに抗がん剤の奏効率がよくないみたいです。

私が明細胞がんだと分かった後から、先生は私の目を見ずに壁を見てお話しされるようになっちゃいました。
その後、病室に来ている時も私の顔を見てくれなくて、壁や天井を見てお話しをするんです。
私が「質問があります。」というと、「はい。」と言って顔を見てくれるんですが、すぐにそらされていました。
本当に分かりやすい先生です。

前川

先生も治そうという気持ちが強かった分、とても辛かったんでしょうね。

岡本様

「先生に見放されちゃったなぁ。しょうがないよね。明細胞なんだもんね。」と思いました。
私自身も病気と闘おうというような強い意志がなかったので…癌と言われた時点で「絶対死なないぞ。絶対に生きるぞ。何がなんでも癌をやっつけてやろう。」という気持ちは全くなくて、癌の方が強いだろうなと。心ではそう思っていました。
ただ、抗がん剤をやるからには効かないと毒を入れるだけだから意味がなくなってしまうと思い、フコイダンを飲用しようと思いました。

先生にも抗がん剤の手助けになるものを色々試したいと言って、がんに良いと言われるものを投げかけました
先生はどれも笑って「いいですよ~!」と言われ、先生が笑い飛ばすということは効かないんだなと思っていました。

しかし、フコイダンだけは真剣な顔をして反対されました。
その先生の顔を見て、「フコイダンは効くんだ。」と思いました。
その時に先生が笑って「フコイダンも良いよ。」と言われたら、選ばなかったかもしれないです。

インターネットを見るとたくさんのフコイダンが出てきて、中には「これは絶対に癌に効きます。」と言われることがあって、こういうものは怪しいと思います。
フコイダンにもたくさんの種類がある中で「これだ!」と思ったのが低分子化フコイダンでした。

使う抗がん剤はTC療法(パクリタキセル+カルボプラチン)にアバスチンを追加し、これを6クールの治療計画でした。
抗がん剤が効くように、副作用を軽くすることだけを考えて祈りました。

岡本様

自分自身、癌と聞いてガッカリしちゃって。
でも低分子化フコイダンだけは「よし。これでダメなら私は死ぬだろう。」と、最後の最後と思って。
先生に「私、吐くのが怖いんです。吐いちゃったら体力消耗してご飯を食べられなくなって、また体力が無くなってという悪循環になっちゃうから。」と相談すると、先生は「他のがんの抗がん剤については分からないけれど、少なくとも私が投与する婦人科のがんに関しては、そんなに吐き気がひどくてゲーゲー吐いている人はいませんよ。昔の抗がん剤は吐いていたけれど、今の抗がん剤は改良されているから。」と仰ってくれました。

1回目の抗がん剤は入院で受けました。
CA125という腫瘍マーカーは手術前は570で手術をした後に測った時は179でした。
その数値が、1回目の抗がん剤を投与した後、2回目の抗がん剤の前に測ると83まで下がったんです。
先生もまさかマーカーが下がるとは思っていなかったようで、次の抗がん剤も考えていたと思います。
多分、明細胞がんだから抗がん剤の効果は期待できないと思って、準備をしていたのかもしれませんね。
採血の結果は私が見る直前に先生が確認するのですが、検査結果を見るまでは期待していないから暗い顔をされていたんです。

採血の結果を開いた時、先生の目が点になって「えっ?!」と声がもれました。
すると、いきなり先生が立ち上がって私の肩を叩きながら飛び跳ねれ「岡本さん!下がった下がった!って。
状況が分からない私は「??」という感じでしたが、先生が飛び跳ねて喜んでくれているので良い結果が出ているのは分かりました。
先生はすごい笑顔で「次できるよ!2回目の抗がん剤をやりましょう!」と言ってくださいました。

個室から大部屋に移って驚きました

岡本様

手術直後は個室でしたが、起き上がって一人でトイレに行けるようになってからは大部屋に移りました。
その部屋は同じ主治医の患者ばかりが集まっておりました。
そこで過ごしていると、みんな吐くんですよね。
吐かない方ももちろんいますが、一人の方は昼間大丈夫でも夜になると吐いてしまい、その吐く音で私も目が覚めちゃったりしました。
昼間は昼間で、昼食の時間になると吐いてしまう方がいました。
そして夜、寝静まったかと思ったら、また違う方が吐き出しちゃったりして、「先生、初めに全然吐くことはないとか言っていたのに…みんな吐いているじゃん。」と思っていました。
そんな中、私は一度も吐かずにすみました。
吐かないから食べられる。食べられるから抗がん剤も投与できる。良い循環かなと思っていました。

私の義弟も以前抗がん剤を受けていましたが、治療中はずっと桶を持って歩いているような感じでした。
吐いてばかりいると、食べたくなくなる。食べないと体力が無くなって抗がん剤が受けられないと悪循環になってしまうと思います。
そんな辛い状況を乗り越え、治療終了から約9年経った今でも再発なく、主治医から「がんは卒業です。おめでとう。」と言われたみたいですが、本当に大変そうでした。

2回目の抗がん剤投与の時に大変な事態に

岡本様

2回目の抗がん剤からは通院になったのですが、2回目の投与の時にアレルギー反応が起きてしまいました。
投与して1分も経たないうちにパクリタキセルのアレルギーで寒気と吐き気と心臓がドキドキしちゃって冷汗が出てきてしまいました。
看護師さんもビックリして「心臓がパクパクすごい。」って慌てて化学療法室の先生を呼んできてくれました。
先生が来た時に私が寒い寒いと言っているので、とりあえず温めようって電気毛布を持ってきてくれたら良くなってきました。
「先生、もう大丈夫です。抗がん剤をお願いします。」と言ったら、私の判断では続けられないと言って主治医に確認してくれました。
すると、主治医が「点滴の速度を落とそう。」と指示されたそうです。
パクリタキセルは元々3時間のところを私は4時間50分かけてゆっくりと落としてもらいました。
そしたら、心臓がバクバクしなかったです。
それからは、毎回4時間50分かけてパクリタキセルを点滴することになりました。
なので、抗がん剤が終わるのはいつも20時~21時になっていました。

前川

元々の虚血性心不全の影響で出たのでしょうか?

岡本様

そうかもしれないですが、私は詳しく分からないです。

3回目の投与からはポーカーフェイスに戻っていました

3回目の投与からの採血となると、腫瘍マーカーが下がるのが当たり前になるので、先生はまたポーカーフェイスに戻っていました。
この段階では先生は低分子化フコイダンを飲んでいたことは知らないので、明細胞がんでも抗がん剤が効いていて、こんな珍しいことがあるもんだと思っていたのかもしれません。
副作用も出ていないので、「岡本さんすごいね。ニコニコしてやってきて、さくさく抗がん剤を受けて帰って、とても良いね!」と先生もニコニコしていました。

前川

抗がん剤は初めが肝心ですからね。

岡本様

先生は治療中、私が低分子化フコイダンを飲んでいることは知らなかったです。
治療開始から1年経ったときにお手紙で低分子化フコイダンを飲んでいたことをお伝えしました。
先生は「フコイダンって効く人には効くけれど、効かない人には効かないって聞くけど。」と仰っていました。
「岡本さんは私が止めたのにも関わらずフコイダンを飲んだのね。そして効いたのね。」という感じだったのだと思います。

前川

相乗効果ですよね。
結局、治れば良いと思うんです。効いているのが抗がん剤であっても良いし、低分子化フコイダンでも良いんです。
何が効果があったかが大切ではなく、がんを治すことが一番大切なので。

岡本様

統合医療推奨協会さんでずっと担当して下さっていた岡田さんも仰っていました。
「先生は統計データを取ったいるから、そのデータ通りにしてほしいと思っている。でも、患者にとってはフコイダンが効こうが抗がん剤が効こうが関係なくて、効くことに意味がある。」と。
私も自分の命が大切だと思って、反対されましたが低分子化フコイダンを飲み始めました。
その時に無理に先生に「反対されても私は低分子化フコイダンを飲みます。」と押し切っても良い方向にいかないと思っていました。

岡本様が当時まとめられていた副作用対策や治療経過
副作用対策や治療経過、食事などの工夫をまとめていらっしゃいました。

3クール目までは楽々で、4クール目から少しきつくなってきました

前川

岡本様のTC療法と低分子化フコイダン併用のお話しは、他の方にとっても大変参考になると思います。
TC療法って「とんでもない。」と言われる方も多く、本当に大変な治療なんです。

岡本様

そうなんですか?
低分子化フコイダンを併用し、本当に副作用は軽かったです。
私はけっこう3クールまでは楽々でした。
3クール目までは副作用が全くなくて、4クール目から副作用が出てきました。

前川

吉田先生も言われるのですが、良い副作用と悪い副作用があって、良い副作用かもしれませんね。

岡本様

良い副作用?

前川

まず悪い副作用というのが、がん細胞が抗がん剤を取り込まず、行き場を失った抗がん剤が正常細胞や骨髄を攻撃してしまって出てしまう副作用です。
反対に良い副作用というのは、抗がん剤ががん細胞には効いているが、がんが小さくなると抗がん剤が余ってしまい、その分が正常な細胞を攻撃してしまうことで出る副作用を良い副作用と吉田先生は表現されるんです。

岡本様

最後の6クール目になると息切れもひどくて貧血で歩けなかったので、「先生、ちょっと待ってください。今週はやめて来週の投与にしたいです。」とお願いしましたが、先生が「岡本さん。採血の結果、底辺だけれども何とか抗がん剤ができる数値なので頑張りましょう。」と言われました。

前川

6クールをスケジュール通りに行って、白血球を増やすための注射などもしなかったんですよね?

岡本様

はい、1回も。
だから先生も「やっちゃいましょう。来週やれるっていう保証もないし、来週もっとひどくなって出来なかったら再来週になってしまう。やれるうちにやっておきましょう!」と仰っていたので、頑張って投与に向かいました。
6クールが終わって3週間後の採血の結果を見た時は先生もさすがに驚いて「こりゃひどい。輸血しないと…心臓にも負担かかってるし。」ということで、6クールをやり切った後に初めて輸血をしました。
輸血をした瞬間に一気に元気になって、元気シャンシャンとスキップして走って帰れるほどでした。

輸血した翌週に造影CT検査があり、その結果も問題なかったのでTC療法6クールは終了し、今後はアバスチン単独療法を16回の維持療法となりました。

抗がん剤をやることに無我夢中でした

岡本様

TC療法+アバスチンの6クール目の投与が終わった瞬間「これでもう終わり!」と思って、化学療法室の看護師さんにも「今日で最後です!これで最後です!再発しないように頑張ります!」と言って挨拶をしました。
また、これからアバスチンの16回の投与が残っているのでお世話にはなるんですけど、その達成感はありました。
抗がん剤をやることに無我夢中で不安がないというか、他のことを考える余裕は全くなかったです。
いま、目の前にある抗がん剤治療だけに集中していました。
だから、終わった時は「やったー!」という達成感でいっぱいでした。

治療中は極力明るくしていました

岡本様

何がなんでも癌に克つぞ。絶対に生きてやるというような気持ちはなかったです。
常に「これからどうなっていくのかな?」というような不安や悩みはありましたが、極力明るくしていました。
そうしておかないと暗くなっちゃうので。
入院中も主治医が朝と晩に「岡本さん、どうですか?」って様子を見に来てくれるのですが、その時に他の患者さんは「具合いいわけないでしょ。」、「良かったら、こんな所にはいないわ。」と答えている中、私は手を挙げて「先生、元気です!」と答えていました。

元気ですって言わないと、元気じゃなくなってしまうというのもあるんですけどね。
気持ち的には「癌だ…。」と落ち込んでいるんですが、副作用もなく体は楽なので、先生には「元気です。」とお伝えしました。
ある日、いつもは「そうですか。」と答えるだけの先生が「岡本さん、本当に元気なの?本当は元気なんかじゃないんじゃないの?」って言って下さって…先生は私の心を見抜いているのかなと思いました。
でも、「いや、元気ですよ。」って答えたら、「本当かな?」と笑ながら病室を出て行かれました。

先生の治療と、抗がん剤が効くように導いてくれた低分子化フコイダン、
そして私の免疫力。これらがいい感じで合わさってここまでこられたのだと思います。

前川

治療中はゼリーの低分子化フコイダンをずっと飲まれていたんですか?

岡本様

はい。
TC療法の時は朝とお昼と夕方と就寝前に1包ずつ飲用していました。
アバスチンの維持療法になってからは朝とお昼と夜の1日3包に減らして、治療が全て終わった今は3包の日と2包の日とランダムな感じです。
2年以内の再発率が高いと言われているので、2年経過するまではあまり減らさずに3包、飲み忘れてしまった日は2包という感じにしています。
家に一日中いる時は3包飲んで、外出する時は朝1包と帰ってきてから1包という時もあります。

前川

多くの人がまずは病院の治療だけを受けられて、途中で「抗がん剤だけだと無理なのかも。」と感じてからフコイダンに辿り着かれます。
フコイダンを知った時点で体力的にも治療的にも限界に近い状況の方が多い中、岡本さんは早い段階で出合っていますよね。

岡本様

私は最初から低分子化フコイダンを併用していました。
組織型が明細胞がんだと分かって、治療が奏功するのが10~11人に1人と知り、抗がん剤だけだと無理だと思っていましたので。
抗がん剤が効くように何かしないといけないと思って。
以前からも免疫力向上のためにサプリメントは飲んでいたりしたので、サプリメントの大切さも分かっていたんです。

主治医は治療が始まってからも色々と考えてくださいました。
例えば、抗がん剤を重ねるたびに血管が固くなってしまうようで、化学療法室の看護師さんたちが点滴の針を刺すのに、多い時には20~30分間何度も刺して、漏れてもいけないので苦労されていました。
それを見て私が「ポートにしましょうか?」と声をかけたら「お願いします。」と看護師さんに言われたので主治医に相談したんです。

すると主治医は「だめ。」って。
「岡本さんは心臓が悪くて、埋め込むのに放射線科の手術が必要になるから、不要な手術は避けたい。岡本さんの体に負担をかけたくないから点滴で頑張って。」って最後までポートを入れずにいきました。
抗がん剤の針を入れるだけで、毎回とても痛かったです。
血管が硬いのでカルテにも要注意人物と書かれていて、新人の看護師さんはとても不安そうに「どこが良いですか?私まだわからなくて…。」と聞いてくるので、「皆さんいつもここにされているので、ここが良いと思います。」と私がアドバイスしていました。

主治医との関係は良好でしたが、抗がん剤治療中は先生の言葉が怖かったです

岡本様

先生はとても良い人ですが、先生からひどい言葉をかけられたらガッカリしちゃうので、聞きたいことがあっても直接聞くことができず、他の先生に聞いちゃったりしていました。
でも、抗がん剤が全て終わって体調が良くなった時に、「先生が私にしてくださった抗がん剤治療は完治のための治療ですか?それとも延命のためですか?」と聞いたんです。
そうすると先生が「何を言ってるの?岡本さんに対しては完治のための抗がん剤治療に決まってるじゃん。」と言われました。
続けて先生は「最初から岡本さんは治ると思っていたから。」って。
「先生、治るってステージ4ですか?遠隔転移しているのに、それでも先生は治ると思っていたんですか?」って聞きました。
「遠隔転移していても大丈夫だよ。私がしっかりと手術をして、あとは抗がん剤が効きさえすれば、岡本さんは元気になれるから。私はそのための抗がん剤治療をやったんだよ。」と言ってくださいました。

もっと早く先生に聞けば良かったんですけど勇気が湧かなくて、他の先生に聞いた時に延命と言われて落ち込んでしまったのですが、主治医は治そうと思ってくれていたみたいです。
抗がん剤治療が終わってからは、先生とも対等に話せるようになった気がします。
抗がん剤治療中は私も体は元気ですが、心の中は常にモヤモヤしていて全然元気ではなかったです。
ただ、体は元気なので先生には元気をアピールし続けていました。
抗がん剤治療中は先生から「岡本さんすごいよね。スタスタスタスタ抗がん剤終えるよね!」って言われていました。

一人でも多くの方に、楽に抗がん剤をやってほしい。
抗がん剤で癌を治すという大切さを伝えたい。

岡本様

初めは抗がん剤のことは毒だと思っていて、手術だけをして抗がん剤をやらないということも考えていました。
でも抗がん剤が効くと、こんなに体が楽になるということを知ってもらいたいです。
手術だけだったら再発もしちゃいますよね。
私の知っている方で、再発や再再発をしている方のお話しを聞くと、皆さん手術の時にリンパ節をあまり取っていないようです。
取った方がよいのであれば、できる限りリンパ節は切除した方が良いのではないかと私自身は思っています。
初回の治療はとても大切だと思います。
リンパ節をたくさん取っておけば再発しなかったかもと思うのは、何か…。

治療を受ければ元気になれます。
治療ができるのであれば、絶対にやった方が良いです。
とにかく低分子化フコイダンを信じて、最初は気軽な気持ちで良いと思うんです。
私もそうでした。
私の場合は抗がん剤が効きにくい組織型でステージ4の卵巣がんという切羽詰まった状況でしたが、気軽な気持ちでとりあえず試してみようと始めると良いと思います。
私自身は「これを飲んで抗がん剤治療を受けて、だめだったら死ぬ。」と思っていたので、これに懸けようと思っていました。
そこまでの気持ちはなくても良いと思いますが、まずは気軽な気持ちで始めたら良いのかな、試してみたら良いのかなと思います。
飲んでみて、自分自身で合うか合わないかは自然と分かると思います。

私も今は再発が怖いので、低分子化フコイダンを飲み続けようと思っています。
再発しないように頑張ります。
抗がん剤治療が終了して丸一年経った時に主治医に感謝の気持ちを書いたお手紙と共に、その時の治療の詳細や心境をまとめたものをお渡ししました。
2024年の8月までに再発しなかったら、再発しない50%に入ることができるので、その時は主治医にもう一度お手紙を書こうと思っています。

本当に低分子化フコイダンのお陰で生かされているような・・・感謝です。

とても長いトンネルの先に出口は必ず見えると信じて

前川

他の方にとって実際に治療を受けられた方、低分子化フコイダン療法を実践された方の体験が大きな後押しになると思います。

岡本様

そうですよね。
私の友人のイトコが卵巣がんのステージ3でした。
先生がすぐに手術してくださったのですが、術後に「ステージ3で進行がんだから、抗がん剤をやりましょう。」と言われたそうです。
ただ、本人は「吐き気はするし髪の毛は抜けるし、受けなくちゃいけないのは分かるけれど、受けたくない。」と泣いてしまって、そのお母様が困っちゃって私に直接娘さんにお話しをしてほしいとご連絡があったんです。
そこで、これまでの私の経緯を全てお話しして、さらに採血の結果もコピーして「1回目の抗がん剤を受けるとああなる、こうなる。こういう副作用が出たよ。」と説明すると、ご本人も「なんだかやる気になってきた!」と言ってくれたんです。
低分子化フコイダンのお話しもしましたが、その方は病院の治療だけでいこうと決められました。
なんとか術後の抗がん剤も終わったのですが、やっぱり苦労されたそうです。

私は4か月間1回も休まずに3週間毎に抗がん剤を受けにいって、先生が「こんなにサクサク、すごいね!」と驚くほどでした。
でも、その方はとても苦労して、4週間後になったり5週間後になったり…具合が悪くなっちゃって、好中球が減ってしまい抗がん剤の投与も途中でドクターストップがかかるほどでした。
抗がん剤を終えるまで半年以上かかってしまったそうです。

前川

その方がそんなお辛い治療を乗り越えられたのは、岡本さんという目標があったからもあるかもしれないと思います。
出口の見えない治療、しかもこんな辛い状況の先にこういう未来が待っていると知っていなければ、心はもたないと思います。

岡本様

親御さんにも「這ってでも6回の抗がん剤を頑張る。」と言っていたそうです。
長いです。本当に長いトンネルのようです。

前川

ただ、その長いトンネルを乗り越えた先には元気な岡本さんがいる。

岡本様

ええ。
ここを乗り越えたら自分も元気になれると思っていただけたのかと。
そのためにも私がやるべきことは何かを考えて、困っていて悩んでいる方がいたら、私の経験をお話ししたいと思いました。


取材にご協力いただき、ありがとうございました。

岡本様とスタッフ前川

お会いした時の第一声が「ありがとうございます!低分子化フコイダンのお陰で生きています!」という岡本様の言葉と笑顔が取材後も忘れられません。
大変な治療を乗り越えるまでには低分子化フコイダンだけではなく、卵巣がんという病気に向き合い、主治医が考えた治療の効果を引き出すために日常の食生活においてもたくさんの工夫をされていらっしゃいました。
主治医を信じ、そして低分子化フコイダンを信じ、ご自身の気持ちや体調のコントロールに精一杯努力を注がれた岡本様のお話しをお伺いしながら、その時の情景が浮かび、涙が溢れそうにもなりました。
岡本様の体験談を見た一人でも多くの方が『頑張ろう』と思っていただけるように願いを込めて私たちもまとめました。
その体験を次の方へのタスキとして多くの方へ託し、低分子化フコイダンを活用した統合医療でより良い治療を受けられる方が増えていくことを心より願い、今後も活動を続けてまいります。


※個人情報保護のため、仮名となります。
※効果は人によって異なります。全ての方に同様の効果が認められるとは限りません。

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